夢から覚めた夢












ふっと目が覚めた時、最初に視界に入ってきたのは、見慣れた天井の蛍光灯だった。

仰向けの体勢のまま、何度かまばたきをし、目をこすり、ヒカルはしばらくぼんやり と天井を見つめてた。

が、掛け布団から出たままになっている剥き出しの腕が、外気に当たって冷たくなり 始めた辺りから、ようやく気付いた。

―――佐為は?

ヒカルは首だけ動かし、部屋の中を目で探った。見慣れた自分の部屋。自分の寝室。 だが、いるはずのあいつの姿はない。

ゆっくりとベッドから上半身を起こす。
カーテンの隙間から細く入ってくる朝の光が、 その一糸纏わぬ肢体を部屋の中に浮かび上がらせた。

「……佐為?」

掠れた喉で、それでもなるべくはっきりと、ヒカル は呼びかけた。

返事は返ってこない。

返事どころか、何の音もしない。この寝室は勿論、此処と戸一枚で隔たれてい る向こうの居間からも、音らしい音は何も聞こえてこない。聞こえるのは、自分が 出す布団の衣擦れの音ばかりである。

見慣れたはずの自分の部屋が、何だかやたら寒々しく見えた。

ぶるっと震え、慌てて自分の身体にシーツを巻きつけた。そしてもう一度呼びかけて みる。

「佐為」

やはり返事はなかった。

ふと下をみると、夕べ脱ぎ散らかした自分の服が、ベッド脇に散乱している。
だが、あいつの服はなかった。確かに夕べ、あいつも此処に脱ぎ散らかしたままに していたはずなのに、まるで最初から散らかしてなどいなかったようになくなって いた。

最初から、何も。

その考えが引っかかり、ヒカルは無意味に手のひらでベッドのスプリングを押しながら、 夕べ此処であったことを思い出そうとした。

覚えている。全部覚えている。

あいつの指の長い大振りな手が、優しく自分の髪を梳いてくれた感触も、

互いの肌が合わさって、溶け合うような感覚に酔ったことも、

ひとつになった時、気絶しそうなほどの快楽に涙を流したことも、

二人同時に達し、シーツに倒れ込んだ後、あいつが耳元で甘く囁いてくれた言葉も、

そこから眠りに入るまで、ずっと抱きしめてくれていた温もりも、

全部覚えているのに、何故。

何故、あいつがいないんだ。

ヒカルはシーツを身体に巻きつけたまま、そろそろとベッドから降りた。 自分の服を踏み、シーツを引きずり、そのまま戸を開け、居間に足を踏み入れる。

電気はついておらず、こちらも変わらず寒々しい。自分のものであるはずの テーブルも、ソファも、テレビも、パソコンも、今のヒカルの目には、何だか妙に余所 余所しく写った。

いない。佐為がいない。

霞がかった頭でただそれだけを思いながら、部屋の中を見渡しているうちに、ヒカルはハタと気付いた。

痕跡がない。昨日の夜からあいつが此処にいて、ベッドで二人で過ごし、一緒に 朝を迎えた、その事実を裏付ける痕跡が何もないのだ。

シーツ一枚を巻きつけた格好のまま、ヒカルは玄関に向かった。裸足の裏から冷えが 伝わるのも構わず、玄関タイルを覗き込む。

あいつの靴はない。自分のスニーカー、サンダル、仕事用の革靴が並んでいるだけだ。 ドアにも鍵がかかっている。

呆然と居間に戻り、もう一度この空間を見渡してみる。

時計の針がコチコチいう音だけが妙にはっきりと耳に付く。

あいつの持ち物も、バッグもない。あいつがいた痕跡は何もない。何も。

―――そんな。そんなまさか。

ヒカルは自分の中に芽生えた恐ろしい考えに、寒さとは別の震えが来るのを感じた。

最初からいなかったんじゃないだろうか。

佐為は昨日、この部屋になんて来ては いない。一緒に過ごした時間も全部、俺の頭が作り出した想像物でしかなく、俺は たったさっきまで、都合の良い夢を見ていただけなんじゃないだろうか。

いや待て。それ以前に、それ以前に佐為は―――佐為は、本当は―――

ヒカルは崩れ落ちるように、床にへたり込んだ。

ああ佐為は、佐為はまさか、本当は戻ってきてなどいないんじゃないだろうか。
生身の人間になんてなっていない。あの時消えてしまったきりなんじゃないだろうか。

あいつを渇望するあまり、俺はあいつが生身になって現れるという妄想を作り出して、 自分に夢を見させていただけだったんじゃないだろうか。
そして今、その夢から覚め、夢に捕らわれ過ぎていたお陰で、俺は現実を受け入れられ なくなっているだけなんじゃないのか―――?

へたり込んだ自分の足元に、パタ、パタ、と何かが落ち始めてやっと、自分が泣いて いることに気付いた。気付いても、涙を止められない。

声も出さず、派手なアクションも起こさず、ただぼろぼろと涙だけを流し、ヒカルは うずくまって泣いた。

ひどい。そんなの、ひど過ぎる。残酷過ぎる。嫌だ、そんなの嫌だ。

「佐……為…………」

嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ 嫌だ嫌だ嫌だ











その時、唐突に金属的な音が響いた。

がちゃ。

それが玄関の鍵を開ける音だと気付くのに、さして時間は かからなかった。ヒカルは顔をあげ、音のした方を見る。

そこから先は、コマ送りの映像を見ているように思えた。

「……ヒカル?……え、ちょっと……どうしたんですか!?」

外から帰ってきた佐為は、うずくまっているヒカルにばたばたと駆け寄った。 そして、涙の後も真新しい白い顔を覗き込む。外気の匂いが、ふわりと ヒカルの鼻先を掠めた。

「泣いてたんですか?どうしたっていうんです?何かあったんですか?」

切羽詰った様子で訊ねる佐為を見上げ、ヒカルは初めて表情をくしゃりと歪め、 新しい涙と一緒に声を絞り出した。

「……何処……行ってたんだよぉ……」

言いながら、佐為のコートの袖を ぐっと手で引っ張る。

「いや、コーヒーを切らしてるみたいでしたから、 ちょっと行って買ってきたんですよ。私が起きた時ヒカルはまだ寝てましたから、 起こしちゃ悪いと思って静かに出てったんです。……ヒカル、私がいないことに 驚いたんですか?」

意外そうな顔で言う佐為。ヒカルは拳で涙を拭い、 鼻をすすり上げると、さっきまでの自分の心境をぽつぽつと説明した。

話を聞き終わると、佐為は穏やかながらも真面目な顔で少し黙り、やがてヒカルに 言った。

「ヒカル、今日は午前中オフでしたよね?」

「……うん。夕方には仕事 あるけど」

「私も今日は休みです」

そう言うと、ヒカルの剥き出しの 肩や白い頬に優しく触れていく。

「……身体、冷えてしまってますね。……どれ」

佐為はヒカルの膝の裏と脇の下に自分の腕を差し入れ、ひょいとヒカルを抱き上げた。

「え、ちょっと……佐為……?」

目を白黒させるヒカルを、そのまま 寝室に連れて行く。そして丁寧にベッドに下ろした。

「ほら、そのシーツ取って、 それでちゃんと毛布被って横になりなさい」

そう言いながら、佐為は 着ていたものを手早く脱いでいく。ジーパンと黒いタンクトップだけになり、 縛っていた髪も解くと、言われたとおりに毛布にくるまったヒカルの横に、自分も 潜り込んだ。

「佐為……」

わけが分からないという顔をしている ヒカルに微笑みかけると、佐為は長い腕を絡めるように、優しくヒカルの身体を 抱きしめた。

「もう一眠りしなさい。こうやって暖めてあげますから」

「…………」

ヒカルは目を見開いた。だが、すぐに表情に 柔らかさが戻る。佐為はそんなヒカルの額にキスを落とすと、甘い声で囁く。

「次に目が覚めた時は、ちゃんと傍にいますから。だから安心して眠りなさ い。ね?」

「……うん」

広い胸板にヒカルは頬をすり寄せた。その表情には もう不安も戸惑いもなく、あるのは安堵と信頼の色のみである。

「おやすみ」

どちらともなくそう言い合った後、ヒカルは割と あっさり寝息を立て始めた。佐為はゆっくり、ヒカルの髪を梳きながら、時間に身を 委ねている。

部屋に差し込む朝の光が、段々明るさを 帯び始めてもなお、此処に流れる空気は穏やかなままだ。











私だって怯えているんですよ。

いつか終わりが来るんじゃないか。貴方が私から離れていくんじゃないか。

それを考えると怖くてたまらない。

貴方は過去に怯え、私は未来に怯えている。

それならヒカル、今をいとおしめばいいじゃありませんか。

過去は過去。未来のことは分からない。

それなら、これからの時間も、ずっとずっと”今”。

永遠に”今”をいとおしんで、いつまでもいつまでも、どうか一緒に……。










八万打有難う御座います!どうぞ これからもうちの佐為ヒカを宜しくお願い致します。







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