はやすぎず、そして充分歌うが如く







全ては、突然の出会いから始まった。

神に選ばれし二人の天才が、千年の時を超えて結び付けられた、あの出会いから。



出会いの時と同様に、別れも突然にやって来た。

少年の慟哭。それが新たな力を呼ぶ。

棋聖への思いを糧とし、教えて貰ったことを指先に宿し、

戦って、戦って、戦って、

少年は、化け物じみた鬼才へと変貌を遂げた。

神の一手を極めるために。







――――― あれから4年。









5.


ヒカルは、ごそごそとベッドを抜けた。

心配げに自分を見る、男の視線に気付いたので、

「…もう、大丈夫だから」

と短く告げた。目は 合わさずに。

「そうですか…」

男は当惑気味な表情のまま、そう言った。
そして、あまり音をたてずにジャケットを脱ぎ、椅子の背もたれに掛けた。

ヒカルは難しい表情で黙ったまま、部屋の中を浮いたような足取りで移動する。
中央にあるソファのところまで来ると、そこに静かに腰をおろした。



そのまま、沈黙が続く。



ヒカルは男のいる側に背を向け、前屈みの姿 勢で座ったまま、何やら 考え込んでいるように見える。

男の方は男の方で、一応、椅子から立ち上がっ てはみたものの、話しかけるきっかけが 掴めず、
所在なげに視線を宙に泳がせるばかりである。

まあ、こういう態度に出られるもの仕方ないけれど、と男は思った。

ヒカルの側からすれば、この男が4年前まで自分にとり憑いていた幽霊、藤原佐為だと あっさり信じられる事の方が無理がある。改めて断わるまでもなくこの男は 生きた人間であって、出で立ちから見ても現代人だ。ついぞ4年までまでオバケだった 者が、今は生きた現代人としてこの世に存在している、なんて、どう考えても 有り得ない話ではないか。

まあ、平安人のオバケが現代の子どもに取り憑いて碁を教えていた、という 時点で、既に有り得ない話だと言われればそれまでだけれど。

そうやって、どれく らい時間が過ぎただろうか。いや、厳密には2分そこそこしか経っていないのだが。

やがてヒカルが、座った姿勢は変えぬまま、大きく溜息をついた。
そして右手で髪の毛をぐしゃぐしゃと掻き回す。

そこへきて沈黙に耐えかねた男が、ついに

「あの…」

と言いかけた。 が、

「17の四」

唐突なヒカルの声が、それをかき消した。

「…は?」

男は間の抜けた声をあげた。

ヒカルの方をかえりみるも、ヒカルは相変わらずソファに座ったままである。 ソファの背もたれが男の立っている側にあるので、見えるのはヒカルの後頭部だけ。 顔色は確認できない。
さっきより顔が上向きになって、自分の斜め上あたりを見上げるような姿勢になっては いるが、やはり男の方を見ようとはしていない。

その格好のまま繰り返す。

「一手目、17の四!」

「…は、はい?」

当惑している男に構わず、 ヒカルはぶっきらぼうに言う。

「あ、俺が黒だからな。17の四。ほら、二手目は?」

俺が黒。17の四。

そう言われて、男はハッと思い当たった。慌てて口を 開く。

「左上、星」

ヒカルが一瞬、眉を動かした。が、一瞬息つぎの間を置いて、 すぐに続ける。

「16の十七」

男は間髪要れずに応じた。

「4の十七」

ヒカルも畳み掛けるように続ける。

「15の三」

男はそれを聞くと、整った 口元に笑みを浮かべながら言った。

「この次は右下にカカってくるんでしたよね?」

「………」

何も答えないヒカルに、男はくすっと笑いを漏らし、独り言のように言った。

「懐かしいですねえ…あの対局。思えば、ヒカルが碁に対して真剣になったのは、あの 一局がきっかけだったんじゃありません?」

そう、あの一局。ヒカルの手を借りての、佐為とアキラの2戦目。

今、目隠し碁で数手打ったのは、それの再現だった。
まさか、黒で一手目を示す だけで本当に気付くとはヒカルも思っていなかったので面食らったが、そうでなくとも この男が本当に佐為であるならば、それ相応の棋力を見せてくれるはずだと思って、目隠し 碁を持ち出したのである。

「…さて、どうします?あの一局を最後まで並べて みますか?これ、テストなんでしょ?私の正体を確かめるための」

男が穏やかに笑いながら言う。

「とことん付き合いますよ?」

男はとっくに了解していた。この子に受け入れて貰う 為の関門なのだ、と。
いつまで続くか分からないけれど、ヒカルの望む通りにしてやろうと思った。それぐらいの衝撃を、 自分はこの子に与えてしまったのだから。しかし、

「いや、いい」

ヒカルはそう言って頭を振った

「それよりさ、この続きは俺達で打たねェ?今から」

並べるのではなく、この先に新たに一局生み出すことをヒカルは提案した。
これも”テスト”の延長なのか、それは分からないが、

「いいですね」

男は乗ってきた。

ヒカルはソファの上で膝を抱えて、体育座りの姿勢になった。まだ、男を見ようとは しないが、纏っている空気が、随分柔らかくなっているように見受けられた。

「じゃあ、いくよ」

ヒカルはすうっと一息吸うと、頭の中に 描いた盤面に、意識を集中させた。








*   *   *   *








「……ありません」

ヒカルが頭を垂れ、投了を宣言した。

男がふーっと溜息をつき、

「有難う御座いました」

と告げる。

「……一進一退の攻防とはこのことですよ。負けるかと思いましたもん。私」

男はそう言って苦笑しながら、手の甲で額を擦る。本当に、際どい勝負だったのだ。

「あそこであなたがコスんでいれば、分かりませんでしたけれど。まあ、 どっちにしても…」

嬉しそうに一息つくと、

「強くなりましたね、ヒカル」

まだ自分に背を向けたままのヒカルに、 男は労いの言葉をかけた。

「棋戦でも頑張ってるようですし、随分と評価されてるじゃありませんか。 塔矢アキラと並ぶ期待の若手、って。あれ程頑張って追い駆けていた塔矢に、今はもう 並んでいるんですね、ヒカルは」

ヒカルは何も答えない。しかし、男は 続ける。

「渡した扇子の意味…ちゃんと理解してくれてたんですね?」

両膝を抱えていたヒカルの片腕が、パタ、とソファの上に落ちた。唇が震え、 微かな声が漏れる。

「………ぃ……」

肩も小刻みに震わせている。
そしてスロー映像のように、ヒカルは体ごと男の方を向いた。それとほぼ同時に、 ぼろっと音が聴こえそうな程に大粒の涙が、ヒカルの目から零れ落ちる。

「…佐…為……」

男はヒカルに微笑みかけながら、答えた。

「はい?」

口元をわなわなと震わせながら、ヒカルは腰を浮かせ、背もたれ 越しに男に向かって片手を差し伸べようとした。

「佐……さ………さ…………」

男がにっこり笑って、その手に吸い寄せられるように、一歩足を踏み出した。 そして。

「……佐ぁあ為ぃいいいいいいいいいっ!!」

そう叫ぶのと同時に、ヒカルは自分に向かって歩み寄ってきた佐為に、飛びかからん ばかりの勢いで
抱きついた。

それをしっかりと受けとめ、ヒカルの頭に自分の頬をくっつけて、佐為は言った。

「ただいま、ヒカル」








あれから4年。ふたりの天才が、再び出会った。

二度目の出会いも、また突然に。



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