はやすぎず、そして充分歌うが如く







7.


佐為は少し瞑目した。そして、

「まあ、これに関しては…私も何となくしか把握していないんで、推測の域を出ていない 部分が多いんですけれど」

と、前置きをしてから話し始めた。

「ヒカル、覚えてますか?まだ私が幽霊で、ヒカルにとり憑いたばっかりだった時、 私、自分の身の上話、しましたよね?」

「うん。覚えてる」

ヒカルは頷いた。

「私は平安の都で大君の囲碁指南役をしていたけれど、汚名を着せられて クビになり、都を追われた。それを悲観して入水自殺した。……そう言ったんですよね」

「うん。でも、神の一手を極めていないから成仏できなくて、千年も幽霊やっ てたんだろ?」

「……今までは、私もそう思っていたんです」

「え?」

ヒカルは首を傾げた。

「…違ってたの?」

「いえ、大体あってます。でもね、ひとつ思い違いをしていたみたいなんですよ、私」

「?」

佐為は、どう言えばいいですかねえ、とひとりごちながら、 適切な言葉を探すように視線を宙に泳がす。

「碁盤に宿ってこの世に留まっていたのは、私の碁に対する執着心が形成した、…… そう、いわば
”擬似人格”だったんですよ」

「……は?」

ヒカルは眉根を寄せた。佐為は説明に取りかかる。

「ヒカルの言ったとおり、私は碁に対する強い未練を抱えたまま死にました。それが あまりにも
強かったがために、死ぬ間際、その”思い” だけがこの世に取り残されてしまったんだと思うんです」

「思いだけが残された?」

ヒカルは目を見開く。

「そう。やがてそれはひとつの人格を成した」

「……」

「行き場のないその人格は、おのれの求めるものを探してひとり歩きを始め、やがて 碁盤に辿り着いた。そこで長い年月、自分を宿してくれる打ち手を待つことにしたんで しょうね」

「……」

「それが、ヒカルにとり憑いていた幽霊、藤原佐為の正体です」

ヒカルは唖然としていた。

「……思いだけが残って人格を成すって……それってつまり、ええと…… 生霊みたいなもんか?」

佐為は、うーん、と首を傾げる。

「いえ、ちょっと違いますね。生霊というのは、生きながら肉体を離れた魂の権化のこと ですから。
……まあでも、理屈としては似たようなものじゃないですか?」

「そういうのってアリなの?」

「さあ…」

「さあ、って…」

困惑気味のヒカルに、佐為は笑って言う。

「だから言ったでしょ?推測の域を出てない部分が多いって。私もはっきりとは分から ないんですよ」

自分の事なのに、さらりとそう言ってしまう佐為。 一方、ヒカルはまだまだ聞きたいことがあるようだ。

「まあ、そうだったんだとしてもさ……死んだ後の、お前本体の行方は?どうなっちゃった わけ?」

ヒカルがそう尋ねると、佐為は自分を指差して答えた。

「それが私です」

「は?」

「入水して肉体が滅んだ時点で、魂自体もこの世には残らず、すぐ昇華されたんだと思います。
そして、何度か転生を繰り返したんでしょうね。色んな人間や生きものに生まれ変わっ ては死に、また
生まれ変わって、みたいに。で、その現在の姿が、私。青木修馬です」

ヒカルは、一瞬固まってから、あぁ…と微妙な声をあげた。

「じゃあ俺が、幽霊…っていうか擬似人格の佐為と一緒に暮らしてる間、青木修馬も それと平行して、この世で普通に生活してたの?」

「はい」

「その佐為と同じ顔で?同じ声で?」

「はい」

にっこり笑ってそう答える佐為こと青木修馬。ヒカルはまた、 あぁ…と微妙な呻きを挙げた。

「わけ分かんねェ……」

一体この世とあの世はどういう仕組みになってんだ、 と頭を抱える。

「私もそう思います」

佐為は頷いた。

「でも事実です。青木修馬はヒカルが生まれる6年前、1980年に生まれ、ずっと この顔、この姿のまま都内で生活し、今に至っているんです。ただ、碁のことは何も 知らなくて、興味もなくて、進藤ヒカルという少年の存在も全く知りませんでしたけれど ね。……4年前までは」

「え」

ヒカルはまた眉根を寄せる。すると佐為はくすっと笑いを漏らした。

「ここから先の話は、もうライトノベルみたいなんですけれどね」

そう前置きしてから説明を始めた。

「私が、突然ヒカルの側からいなくなったのは、今から4年前の5月でしたね。 覚えてますか?」

そう問われて、ヒカルは一瞬表情を曇らせる。

「覚えてるよ……勿論」

「そう。で、時期的にはそれとほぼ同時か、ちょっと後だったと 思うんですけれど」

ヒカルが少し沈んでしまったのに気付き、佐為はわざと明るめの声を作って続けた。

「あの日、私は勤め先にいて、地下の資料室に向かってたんです。階段を降りてね。 で、その途中に…」

佐為は一端言葉を区切り、カップをあおってから、また話し始めた。

「いきなり、頭に何かどーんとモノがぶつかる感触がしたんです。ボールが当たった ような。たいして痛くはなかったんですけれど、びっくりして立ち止まりました」

ヒカルは相槌を打つことも忘れ、黙って聞いていた。

「で、その直後、急に強い眩暈をおこしたんです。その先はよく覚えて いないんですけれど、一緒にいた後輩の話によれば、私、そのまま踊り場でよろけて、 まっさかさまに階段から転げ落ちたんだそうです」

ここで佐為が息継ぎの間を取った。ヒカルも何も言わないので、一瞬、沈黙が流れた。

「大した怪我はしなかったんですけれど、その場で意識不明になりましてね。 すぐに病院に担ぎ込まれました。で、そのまま5ヶ月以上の間、意識が 戻らなくて、病院で昏睡してたんですよ、私」

「5ヶ月以上も…」

「ええ」

佐為は天井を仰ぎ見た。

「でもね、全然眠っている感覚なかったんですよ。その間ずーっと、夢を見てました から」

「夢?」

「そう。ヒカル、こんなことありません?夢の中で、夢に出演している自分を外側か ら眺めてる、なんて
こと。眺めながら、”コレは夢なんだ”ってはっきり自覚してる んですよ」

「ああ……うん、あるよ」

ヒカルは、佐為に扇子を渡された夢を思い出した。あれは、自分が夢の中で動きながらも 、これは夢だと自覚しているタイプのものだったけれど。

「それでね、私、こんな夢を見てたんです。
狩衣を着て烏帽子を被った、平安時代の 格好の自分が、男の子に碁を教えているんですよ。私は幽霊で、 その子に取り憑いていて、その子以外の人には見えないんです」

ヒカルは唖然とした。

「そういうお話をね、ドラマでも見ているみたいに、 私が外側からずーっと見ているんです。
古い碁盤の前で二人が出会ったところから 始まって、その後、私が、碁が打ちたい碁が打ちたいって
わがまま言ったり、その男の子に 歴史の宿題全部やらされたり、後にその男の子のライバルになる、
碁界のサラブレッド 的な少年との出会いとか、その少年を追って棋士の道を目指そうと頑張っている
過程とか…」

ヒカルは、佐為の言葉を聞きながら、またじわじわと涙が 出てくるのを止められなかった。

佐為と過ごした2年あまりの日々。あの掛け替えの無い 思い出は、片時も忘れたことがない。
あの日々がなかったら、今の自分はなかった。 佐為があれ程までに熱心に自分を鍛えてくれなかったら、自分は棋士になどとても なれなかった。

それなのに、自分があの日々を終わりにしてしまったのだ。 自分ばかり打ちたがったせいで。

それを思い出すと、また涙が出てくる。ヒカルは話に集中しなければと、ごしごし 目を擦った。

佐為はヒカルの背中を静かにさすってやりながら続けた。

「私は、平安装束の自分も、自分と向かい合っている少年が誰かなのかも知っていました。
彼らがこの後どう行動し、何を思って何を言うのかも分かりました。仕舞い込んであった ホームビデオを再生して、思い出に浸っているような気分で、それをずっと見ていた んです。
でね、その間、私こう思ってたんですよ。」

佐為は穏やかに微笑みながら、ヒカルの顔を見た。

「"どうして今まで、こんな大事なことを忘れていたんだろう"って」

ヒカルは目を見開いた。

「骨董品屋の店主をこらしめたことも、悪い碁盤屋と組んだプロ棋士をやっつけて、 虎次郎の碁盤を引っ込めさせたことも、塔矢行洋とネット碁で対局したことも、 みんなみんな、私とヒカル が二人で経験したことで、紛れもなく現実に起きたことだったのに、どうして忘れて いたんだろう、……何の疑問も持たずに、そう思ってたんです」

それを聞いて、またワッと涙が出てきてしまったらしいヒカルは、ソファの上で抱えた 膝の間に顔を埋め、肩を震わせた。

「昏睡していた5ヶ月間は、千年以上もの間分かれ分かれになっていた、私の魂と”思い” が、またひとつになるために必要な時間だったんでしょうね。分かれていた間に、 こんなことがあったよ、こんなこともあったよ、って私に教えるために…」

そして、青木修馬はそれを躊躇なく受け入れた。
自分が千年以上前に置いてきてしまった 片割れと、それが経験してきた事実を。

佐為はヒカルの背中を優しくさすり続けながら、また話し始める。

「でね、またその夢の話に戻りますけれど、最後だけはね、ちょっと視点が違っていたんですよ」

ヒカルの肩の震えが治まりつつあった。



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