それは一種の狂気にも似て








気が付けば、目の前にかの方がお座りになっていた。盤を挟んで、自分 と向かい合って。





パチ、パチ、パチ、パチ





――そなたとこうして打つのも、久しいな。

「左様でごさいますね。随分と打ち回しが柔軟になられたご様子」

――ほう、そうかね。自分では分からぬが。

「以前とは格段の違いでございますよ」

――そうか、喜んでくれるか。

「勿論でございます。……というより、安堵致しました」

――安堵?

「はい。私がお教え致しましたことは、決して無駄ではなかっ た、と。長い期間ではなくとも、お仕えした意味はあったのだと」

――はは、何を言い出すかと思えば。私にとって碁の指南役とは、昔も今もそなただけだ。 ……最も、そなたを救えなかった私が言えた義理ではないがね。

「お(かみ)……」

――そなたには、謝らねばならない。あの時の私はあまりにも無知で、 あまりにも愚かだった。もう少し気を利かせれば良かったものを、目先の結果のみ に捕らわれて……。

「お上、おやめ下さいませ」

――それに気付いたのは、そなたが逝ってしまった後だった。どんなに後悔しても 取り返しがつかぬと分かった後だったよ。……すまぬ。本当に。

「…………」

――まあ、今更謝ったところで、どうなるものでもないが。

「……お上、それは間違いでございます。私はあの運命を少しも恨んだりはして おりませぬ。強がりでも、負け惜しみでもなく」

――…………。

「本当でございます。もしあの時、私が碁に対する強い未練を残して世を去らなかっ たら、私は……」

――あの少年にも出会えなかった、と?

「…………はい」

――それは、どちらの少年(、、、、、、) のことだね?無粋な問いだが。

「…………どちらも(、、、、)、 大変重要な出会いでございましたが、しかし……」

――ああ、言わなくとも良い。分かっている。今そなたの心に住んでいるのが、 どちらの方かということくらいはね。

「……恐れ入りましてございます」





パチ、パチ、パチ、パチ





――佐為よ。

「はい」

――あれで良かったのだと、私はそう思って良いのか。

「はい」

――……思って、良いのだな。

「はい。……お上に碁をお教え出来なくなりましたのは残念至極でございましたけれど、 私は、あらゆるものと引き換えに、今の幸せを掴んでおります。そのことには、 日々感謝しております故。……勿論、お上にも」

――そうか。幸せか。今のそなたは。

「はい。この上なく」





パチ、パチ、パチ、パチ





――ああ、風が出てきたな。

「……え?」






そう言われてすぐ、ざあっという音と共に風がやって来、目の前の方はすぐに見えなくなった。

自分の体も、何処か知らぬ場所へ飛ばされていく感覚を覚えた。





――佐為、そなたがそう言うのなら、今の幸せを大事にするが良い。
だが、これだけは覚えておけ。今そなたが抱いているその『思い』は、いずれ相手のみならず、 自分をも食い殺しかねん。狂気にも似ている。それ程強いものであると気付いておく のだぞ。……押さえるのが難しくてもな。






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