その無心の微笑みで







その日、血盟城では貴族を招いての晩餐会が行われていた。

生憎、僕は自分の領地に急用ができてしまい、出席できなかった。
血盟城に戻って来れた のはその日の深夜。晩餐会が跳ね、招待客たちが客室に戻っていく頃だった。

この分では、あいつはもう部屋に戻って寝てしまっているのだろうなと 思いながら、僕は廊下を急ぐ。
すれ違う貴族の面々と挨拶を交わしていきながらも、 頭の中はあいつのことで一杯だった。何せもう二日も顔を見ていないのだから。

魔王専用部屋に着くと、静かに扉を開け、室内に足を踏み入れる。 が、特大ベッドにあいつの姿は無かった。

あれ、と思いながら広い室内に一通り視線をめぐらせてみるも、やはり何処にも 姿は無い。まだ戻って来ていないのかと思い、扉の方に引き返した、その時。

急に扉が開いて、入ってきた人物と鉢合わせる形になった。

「あっ……」

「ユーリ」

突然のことで一瞬ぽかんとしてしまい、僕たちはお互いの顔を見合った。

目の前に現れたユーリは、パーティー仕様の正装だった。

黒の上下で上着はイブニングコート。立ち襟に白のスカーフを巻いている。 靴もエナメルの上物で、袖口のカフスボタンは眞魔国の国章を刻んだ、威厳ある 品だ。

そんなユーリの装いに僕は見惚れそうになってしまったが、すぐ現実に引き戻された。
整髪料で上げられた髪の下の可愛い顔が、酷く不機嫌そうに歪められていたからだ。

ユーリは僕の横を無言ですり抜け、つかつかと部屋の中に足を進めて行く。
扉の外に、困惑した顔のコンラートと世話役の侍女の姿があった。事情を聞こうか 一瞬迷ったが、やめた。僕は二人に下がるようにと目で語りかけると、すぐに扉を閉めた。

ユーリは黙って、ベッドにどしんとうつ伏せに倒れ込んだ。

「ユーリ、どうした?」

ベッドの方に足を運びながら、なるべく 柔らかい声音でそう問いかけた。
返事はすぐには返って来ず、低い呻き声のような ものが聞こえただけだったが、僕はうつ伏せになったままのユーリの側に腰掛けると、 もう一度問いかけた。

「何かあったのか?」

そこからまた三拍置いて、ユーリがごそごそと顔だけを僕の方に向ける。
相変わらず 顔は不機嫌そうなままだ。整髪料で固まった前髪が乱れ、一筋額にかかっている。 目が濁っているように見えるのは気のせいではないだろう。

ユーリはその姿勢のままで、ぼそぼそと言った。

「もうわけ分かんねぇ……」

「何が?」

ユーリの背中に手を 回し、軽くさすってやりながら聞き返す。

「晩餐会で何かあったんだな?」

ユーリは、うんとも違うとも言わないまま、

「別に、何があったって程でもないんだけど」

と前置きしてから、呟くよう に話し始める。

「……色んな人が、俺に色んなアクション起こしてくる。連れて来た自分の娘とか息子 とかとやたら二人っきりにさせたがる人とか、並んでる料理の中に自分の領地の名産とか が混ざってると必死で食わそうとする人もいた」

「…………」

その情景が目に見えるようだった。 ただでさえ、あらたまった社交の席はあまり好まないユーリが、日頃顔を見ることも 稀な貴族の面々に擦り寄られ、上手にあしらうことも出来ずに困惑しているさまが。

「地球のこととか、俺の親のこととか質問攻めにしてくる人もいたし……他にも色々」

話を聞く限りでは、魔王への態度にしては随分と図々しいのではないかと思う。
勿論、今日の招待客の全員がというわけではないのだろうが、それにしても 兄上やギュンターの牽制は無かったのだろうか。コンラートは何をやっていたの だろう。

ユーリのことだから、そういう不躾な連中にもいちいち律儀に対応して、神経 すり減らしてしまったのだろう。これではどちらの身分が上だか分からないではないか。

「おまけにこんな格好だしさ、数え切れないほど礼儀作法もあるし……ちょっと歩く のにも気を使わなきゃいけない。みんな見てるぞっていう無言の圧力みたいなの を感じるの」

少し涙声になり、さっきとは関係の無い愚痴が出てきている。抑圧していた感情が吐 き出されているのだろう。

「……疲れた。もうやだ、あんなの……」

言葉が強くなり、華奢な背中が揺れた。

「嫌いだよ、ああいうの……あんな会 も、こんな服も、靴も、髪型も大っ嫌ぇっ!」

ユーリは叫ぶようにそう言い、拳で 布団を強く叩いた。そして辛そうに歪めた顔を隠すように、布団に押し付ける。

「……そうか」

僕はユーリの頭を撫でながら言った。

「それなら、早いところそんな服は脱いで、風呂に入ってさっぱりしてきたら どうだ」

少し間を置いてから、ユーリはのそっと身を起こし、うん、と 頷いた。

何か改めて諭す必要なんてない。
僕はちょっと愚痴を聞いてやって、 溜まっていたものを吐き出させてやれば、それでいいのだ。後はまた自分で立ち上がれ る。そういう奴なのだから、ユーリは。







風呂から上がり、寛いだ部屋着姿で部屋に戻って来た時のユーリは、だいぶ穏やかな 顔になっていた。髪も洗髪して、さらさらに戻っている。

いつものように一緒に並んで布団を被ると、ユーリの方から言葉をかけてきた。

「ヴォルフ」

「うん?」

ユーリがごそごそ と僕の方に身体を向ける。

「さっきは……ごめんな。勝手に喚き散らして」

顔に微かに赤みが差しており、気まずげな表情である。

「そんな、謝る必要なんてない」

僕は笑った。

「むしろ、僕の顔を見るまで堪えてたんだから立派だぞ。晩餐会の席で爆発してたら、 それこそ笑えない事態になっていた」

「ん……。いつもなら、あれくらいのことで苛ついたり しないのに、ちょっと最近、色々溜まってたからさ、それで……」

そういえ ばここ2、3日、法改正の件でユーリは執務室に詰めっ放しになっていた。それなら もっと早く僕が察して、息抜きさせてやれば良かった。

「そんな時に不躾な 貴族連中に擦り寄られたんじゃ、無理もないな」

「あんな窮屈な格好までさせられたしね」

その言葉で、さっきの イブニングコートの正装姿が頭に浮かび、つい笑みがこぼれてしまう。

「あれは素晴らしく似合ってたぞ。また別に機会に着るといい」

「いや、当分勘弁!あんなの、汚さないか心配でろくに動き回れやしねえもん」

ユーリは大袈裟に顔をしかめる。

「……ま、あんな衣装で着飾らなくても、 ユーリは充分過ぎるほど美しいが」

僕はそう言いながらユーリの頬に片手を 伸ばした。そして困惑気味な彼の顔ににじり寄る。伸ばした手を艶やかな髪に通しな がら、瞼、鼻、額、頬と次々に唇をつけていった。

「ちょっ……ヴォルフ、くすぐったいって……」

そう言いながらも本気で嫌がっている様子はなく、僅かに身を捩らせながらも顔には 笑みが浮かびつつある。

「……ほら、泣いたエンギワル鳥がもう笑った」

一瞬ユーリが、なんだそら という顔をしたが、すぐにまた花が咲いたような笑顔を見せた。







これからも嫌なことは数え切れないほどあるだろうが、 そのたびに僕が取り戻してあげる。

お前の無心の微笑みを。















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