4つの流動的要素   −あおい眼をした人形は−







2.





先日、ユーリが退位を表明した際、それはもう国中が仰天した。

何故いま魔王を辞める必要が?と大騒ぎされた。これといった理由は何も見当たらない し、支持率も相変わらず90%を超えている。27代魔王はどうみても揺ぎない 威光を放っていると言って良かった。

大体、ユーリはまだ若い。

眞魔国で勘定している年齢では66歳、地球年齢では26歳である。
史上最年少で即位したユーリの治世は50年あまり続いたことになるが、これからも まだまだ続くものと誰もが信じて疑わなかった。

それが、何の前触れもなくの退位表明である。国内に限らず、いちはやく情報を 入手した周辺諸国も、驚きを隠せなかった。

国家君主としてのユーリは、名実共に史上最高と言われていた。

『人類共存の志士』 『平和の担い手』 『双黒の名君』 『眞魔国にシブヤユーリあり』

ユーリを賛美する呼び名は数知れない。

そのユーリ陛下が、こうも頓着なく王座を手放すとなると、眞魔国もとい世界の平和と 安寧もこれまでなのではないか、と心配しだす輩も少なからずいた。

しかし、当のユーリはこうやって早々に王座を手放す事を以前から決めていたようで、 それに向けて密かに準備も進めていたらしい。
退位の障壁になりそうな事柄は、あらかじ め全部処理してあったのだから用意周到だ。

そこまでして何故魔王を辞めたいのだ、 と臣下たちは問い詰めたが、ユーリは笑って『まあ、そろそろいいんじゃないかと思っ てさ』としか言わなかった。

そうやってかなりの疑問を宙に浮かせつつも、や がてユーリの退位は正式に承認された。あとは以前から決まっていた第28代魔王の戴 冠の準備を、という段階にまで漕ぎ着いた、のだが・・・。

その新王の戴冠式を待たずして、今日、27代魔王ユーリは一通の手紙を残し、 血盟城から忽然と姿を消したのである。












自分とユーリの私室に戻ったヴォルフラムは、ばたんと扉を閉めると暫らくの間、 背中を扉につけたまま動けなかった。

だがやがて、机に目線を向けると、その 方向へ足を運び始めた。

何処に入っているかは分かっている。躊躇うことなく選んで開けた 引き出しの中から、ユーリが毎日書いていた日記を取り出し、ページを繰る。

あった。思ったとおりだ。昨日の日付の記されたページに、精一杯丁寧に書いたのであ ろう文章。
人目につかないよう、この日記に残すことを決めたと思われる、ヴォルフラム への書置きだ。



『ヴォルフラムへ。

まず謝らなければいけないな。ごめん。本当にごめん。何も言わず、黙って出て行く勝 手をどうか許してくれ。

はっきり言ってしまうと、お前をつれていくことは出来ない。そんな迷惑はかけられ ないんだ。途中、小休止はあるだろうにせよ、この計画は一生かけてするものと俺は 決めてしまった。そんな生活にお前を付き合わせるのはあまりにも心苦しい。 だから辛いけど、俺はひとりでいくことにした。

でもヴォルフ、これは誓って言う。俺はお前を嫌いになったわけじゃない。そんなこと 有り得ないよ絶対に。愛してるからこそ俺はお前を置いていくんだ。ごめんな、どうか 分かってくれ。

俺はこのまま失踪するわけじゃないし、地球に帰ってしまって二度と戻らないつもりと いうわけでもない。またいずれ眞魔国に戻ってくる。どうしてもヴォルフが恋しくな ったら、なりふり構わず会いに行くかもしれない。だから、またすぐに会えるよ。

それまで、どうか元気で。                                   ユーリ 』



そう書かれた紙面を、ヴォルフラムはじっと見下ろしていた。 その姿勢のまましばらく動かずにいたが、やがて、おぼつかない足取りで寝台まで 来ると、其処にどさっと身を投げ出した。

退位が承認された日の夜、此処で自分とユーリが交わした会話を思い出す。

「ま、お前が決めたことなんだからいい。ガタガタ言うのは、もうやめよう。 ・・・で、お前はこれからどうするんだ?上王陛下という身分はついて回るが、でも これまでに比べればかなり自由になるぞ。時間も有り余るほどだろう。何するんだ?」

野球か?でも毎日そればかりでは飽きるんじゃないか?というヴォルフラムに、ユーリ は、ハハハと笑って答えた。

「まあ、野球もやるけどさ、でも自分の楽しみためだけに過ごそうなんて思ってないよ。 のんびり余生を、なんて歳でもないしさ」

「何なら、僕と旅行にでも行くか?夫婦恋愛旅行」

「何だそりゃ、ツェリさまの真似?」

二人の間に笑いが起きた。

「しかしあれだ、さっきも言ったが、これからお前は自由の身だ。僕としてはまた 心配事が増えるわけだな」

「へ?」

ヴォルフラムは口元に笑みを 残したまま、ユーリを軽く睨む。

「何せ、もともとお前は尻軽な浮気者 だからな。いつ何処へふらふらと浮気をしに行くか分からん。僕はこれまで以上に、 お前をしっかり捕まえておかなくては」

そう言うとヴォルフラムは、毛布の下でユーリににじり寄り、ぎゅっと抱きついたの だった。

その時、ユーリは何と言ったのだろう。抱きついた自分に笑いかけただけで、特には 何も言わなかっただろうか。

思い出せない。

布団に押し付けられた綺麗な顔に、苦悶の色が濃くなる。

「ユーリ・・・」

シーツを握り締める。

ユーリは僕に何も言ってくれなかった。僕を置いてひとりで行ってしまった。

その事実が容赦なくヴォルフラムを苦しめる。

ユーリが退位表明をした際、ヴォルフラムはさすがに驚いたけれど、一方で、密か に喜んでいた部分もあったのだ。

これでユーリは国のものではなくなる。これからは僕だけのものだ、僕が独り占め していいのだ。

そう思うともう有頂天で、人目につかぬ所では 笑いを堪えられなかった時すらあった。
これからはユーリと何をしようか、グレタも手を離れて久しいし、二人で少し国を出て みるのも悪くない、とか、色々と考えを巡らせてもいたのである。

…それなのに、お前はまだこの世の厄介事を放っておけないのか?まだ世 のため人のために働こうとするのだな。

『自分の楽しみのためだけに過ごそうなんて思ってないよ』と、確かにユーリはそう 口に出していた。
僕は自分の事しか考えていなかったというのに…。

「ヴォルフ、少しいい?」

突然声をかけられ、 ハタと顔を上げると、部屋の扉が開いており、そこからグレタが顔を覗かせていた。

「あ、あぁ」

ヴォルフラムは急いで身を起こし、髪に手櫛を入れる。 みっともないところを見られてしまっただろうか、と少し悔いた。

寝台に腰を下ろした状態でいるヴォルフラムのところへ、グレタは真直ぐにやって来た。

王太女グレタは、現在60歳。だが見た目年齢はまだ22、3歳くらいである。

16歳の成人の儀の折、魔族として生きる決意を明らかにしたグレタは、眞王廟 で特殊な儀式を受け、以来魔族と同じくらいの成長ペースになっている。寿命も 伸びているらしい。

今や、眞魔国三大悪夢は『上様』ユーリ、『毒女』アニシナ、そして『罠女』グレタ姫 と言われ、愛らしい容貌ながらも結構恐れられている人物である。

その罠女は、公務においては主に外交に携わっていた。元々人間の国の皇室出身という 身の上なので、それを生かして眞魔国と他国の交流のために尽力したい、と自らユーリ に願い出たのだ。
そのため、頻繁に国を出入りする生活なのだが、父の退位表明を聞いたために、先日 急ぎ帰国ばかりだったのである。

今回のユーリの失踪のこと、彼女もショックなのだろうな、とヴォルフラムは愛娘の しんみりした顔を見ながら思った。

ヴォルフラムの隣に腰を下ろしたグレタは、少しの間、黙ったままだったが、やがて 静かに口を開いた。

「夕べ、ユーリは私の部屋に来たの」

えっ、とヴォルフラムがグレタを見やる。グレタは口調を変えずに続けた。

「退位承認までばたばたしていて、ゆっくり話す暇がなかったからって仰って。 それで、暫らく私の部屋で話をしていかれたのよ」

「そうか…」

そこでグレタは少し顔を上にあげ、微かな笑みを浮かべた。

「色んな話題が出たわ。それこそ、私がユーリに刃物片手に飛びかかっていっ た日のことから、最近の地球の話まで。本当に色々とね」

「……」

「でね、最後にこう仰ったの。『グレタ、この先、俺に気遣いはいらない。 お前は自分の思った通りに生きればいい』って」

「……」

「あの時は、もう俺は魔王ではないのだから、お前にも王の息女というしがらみが なくなる。存分に好きなことをやっていいんだぞ、っていう意味だとしか思って なかった。でも今思うと……あれはお別れの言葉だったのね」

「そうか…」

いずれまた戻ってくる、失踪するわけじゃない、とユーリは書置き にそう残していた。しかし、グレタにそのようなことを言い置いていったという事実が、 ヴォルフラムにずしんと圧し掛かった。やはりユーリは遠くに行ってしまった のだ。

「それで…どうするんだ?」

「え?」

ヴォルフラムはグレタの顔を見て続けた。

「ユーリのその言葉に、どう答えるつもりだ?お前は」

それを聞いて、グレタは笑った。

「私は今まで通りよ?国のために働くわ。それがユーリに繋がることだと思うから」

「ユーリに繋がる?」

「ええ」

グレタは膝の上で両手を組み、斜め上を見上げた。

「ユーリは、世界全体へ向けた奉仕はいずれ眞魔国の利としてかえってくる、っていう お考えを貫いておられた。事実それを実証して見せても下さった。今回のこと も、そのお考えが根底にあったからこそお選びになった道なのだろうし」

「そうなんだろうな」

「だからね、私も真似しようと思うのよ」

「真似?」

「そう。私も眞魔国に座を占めず、これからも諸外国と眞魔国の架け橋の役割を続ける わ。帰ってきてもユーリがいないのは悲しいけれど……でも、私がユーリに教えて頂いた ことを捨てさえしなければ、私とユーリは繋がっている。そんな気がするのよ」

「……」

ヴォルフラムは感嘆の思いだった。まだユーリの失踪が発覚して一時間も経っていないはずなのに、この子は既にここまで 考えをまとめてしまっている。この強靭さはどうだ。

それに比べて自分は何をしている?

「ヴォルフは、どうされるおつもり?」

今のヴォルフラムの心情とだぶる 問いかけを、グレタが振った。

そしてそれが、彼に心を決めさせた。

「どうもこうもない。ユーリが僕の側を離れたとなれば・・・」

僕も単純だな、と思うと少し笑いが出たが、それを隠そうともせずに立ち上がった。

「・・・僕がやることは相場が決まっている」

そう言いながらグレタに 微笑みかけ、そして部屋の扉に向かって歩き出した。

心は決まった。ならば実行あるのみだ。

「ヴォルフ」

扉を開けかけたヴォルフラムに、グレタが寝台から腰を 浮かせながら声をかけた。

「ご無理、なさらないでね。それから・・・」

にっこり笑って付け加える。

「よろしく伝えておいて」

誰に、とグレタは言わなかった。ヴォルフラムも聞かなかった。そんなこと、二人とも とっくに承知しているのだから。

「分かった。有難う」

ヴォルフラムも 笑い返して頷くと、部屋を出、歩き出した。はじめは早歩きで、そして次第に 小走りに。
そのまま、真直ぐ厩舎へ向かう。

かなりの速さで愛馬を駆り、ヴォルフラムは眞王廟を目指した。

眞王廟に着くと、ヴォルフラムは入り口の女性兵士に落ち着いた声音で告げた。

「猊下に目通り願いたい。通せ」




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