4つの流動的要素   −あおい眼をした人形は−







7.





さて翌朝。

「で、結局、渋谷のところに行きたい、と」

「ああ」

ヴォルフラムは頷いた。夕べの睡眠は熟睡には程遠かったらしく、 目の下に薄ら隈を作っているが、表情はしっかりしていた。
そんな彼の前には村田と、そして勝利が立っている。勝利は昨日、このホテルからいっ たんは出て行ったのだが、今日の朝また戻ってきたのだ。今三人がいるのは、ヴォルフラム が一泊した部屋だ。

ヴォルフラムは続ける。

「面倒は起こさないように細心の注意を払います。この世界のきまりも作法も、 言われたことは必ず守ります。だから」

此処まで一気に言い、息継ぎをして から再び口を開く。

「連れて行ってください。ユーリのところに。どうしても行きたいんです」

一拍置いてから、村田からは失笑が、勝利からは溜息が漏らされた。

「……ま、多分こうなるだろうとは思ってたけど。ねー、友達のお兄さん」

「俺に同意を求められても困るね、弟のオトモダチ」

そう言いながら、勝利は上着の胸ポケットから何か取り出した。そしてそれを村田に 渡す。

「13時ちょうど成田発、ハーツフィールド・アトランタ空港行き。片道大人二枚、 だ。俺が世話するのは
ここまで。あとは二人で適当にやってくれ」

村田は渡された薄い封筒のようなものを開け、中身を確認すると笑った。

「ビジネスクラス!うわーファーストじゃないところが微妙にケチですねえ」

「エコノミークラス症候群になる可能性を回避してやっただけでも有難いと思わない のか」

意味が分からず突っ立っているヴォルフラムに、村田は二枚の チケットをピラピラさせながら言った。

「というわけで、今日の13時には日本を発つからね」

「は……」

「渋谷んとこに行くんでしょ?今日これからそこに向かうの。あ、友達の お兄さん、本人に連絡しといて下さいね。さすがにアポなしで来襲するのはマズイ でしょ。向こうの受け入れ態勢も整えて貰わないと」

俺がするのはここまでだって言ったのに、と勝利は呟いてから、難しい顔で返す。

「どうだか。電波の届かない場所にいるか、電源が入ってないかもしれないぞ」

「いや端末のほうじゃなくて、あのメンバーが共有してるサーバ 。あれに繋げれば速いんじゃありません?そっちは定期的にチェックしてるでしょうし 、僕も一緒に行くって伝えて貰えれば、向こうからも僕の
PCに何らかの連絡を寄越す でしょうし」

「歓迎して貰えるかどうかは分からないがな」

全然理解できないヴォルフラムをそっちのけで、二人は話を進めていく。

「まあとにかく、お願いしますよ、友達のお兄さん。弟くんの為だと思って」

勝利は溜息をつき、分かった、と答えた。

「よし、じゃあまずはすぐにチェックアウトして、いったん僕のマンションに戻ろう か。色々支度もあるし。
フォンビーレフェルト卿、僕ちょっと荷物まとめてくるから、 この部屋で待っててよ」

村田は早口でそう言うと、さっさとヴォルフラムの 部屋から出て行った。

勝利とヴォルフラムだけが残される。

続いて勝利も出て行こうとするような素振りを見せたが、立ち止まって、 振り返った。

「ヴォルフラムくん」

「……はい?」

いきなり名前で呼ばれて、一瞬戸惑う。相手の顔を 見上げると、勝利もまた、少し戸惑ったような顔で目を逸らした。

「有利は……君の前では、その……どんな奴だったんだ?」

「え?」

きょとんとするヴォルフラム。だが勝利の方も、自分の言わんとしていることが よく分かっていない様子で、何事か唸りながら落ち着きなく視線を宙に泳がせている。

この動作には見覚えがあった。考えに詰まった時にユーリがよくやるのだ。 そっくりとは言い難い兄弟なのに、こんなところに共通点があったとは。

「いや、あいつが相手によって接する態度を変えたりはしないってことは、 俺もよく分かってる。基本的に裏表を作れない性格だし、嘘もつけない奴だ。でも ……俺は、向こうの世界での有利を全然知らない。話を聞くことは出来ても、じかに 様子を見ることなんて出来ない。だから……」

話の末尾に近づくに従って、 慌てたような口調になっていくのが分かる。ヴォルフラムは思わず笑いそうになって しまったが、何とかそれを引っ込めると、落ち着いた口調で相手に言った。

「ユーリは特別です。僕にとっても、向こうの世界にとっても。彼を一言で語る なんて到底無理です。それくらい稀有な存在なんです、魔王ユーリは。でも……」

表情を明るくし、続ける。

「僕の前では、みっともなく泣きも怒りも するし、子どもみたいに笑ってはしゃぎもする、ただの一個人に過ぎませんでしたけれど」

それを聞いて、勝利がふっと肩の力を抜いたのが分かった。眼鏡を押し上げ、

「そうか……それならいい」

と呟いた。
その時 ヴォルフラムには、勝利が微かに笑ったように見えた。昨日初めて会ってから 今日まで、一度も笑顔を見せなかったというのに。

部屋を出て行く間際、勝利はヴォルフラムの方は向かずにこう言った。

「これからも……仲良くしてやってくれ」

目的語を省略した言い方だったのに、 それはヴォルフラムの中にずしんと響いた。

優しい魔族の坊ちゃんよ、仲良く遊んでやっとくれ。

噛み締めるように、

「はい」

と答えた時には、勝利の後姿はもうドアの向こうに消えようと していた。

ばたん、とドアが閉まる音を聞いてからしばらくの間、ヴォルフラム はそのままの姿勢で突っ立ったままだった。だがやがて、誰もいない部屋の中、 ぽつりと呟いた。

「……お会い出来て嬉しかったです。義兄上」










この世界で国外に出る、という行為がどういうものなのか、今一つ掴みきれていなかった ヴォルフラムだったが、新東京国際空港に連れて来られた時点で、またどえらい カルチャーショックと共に事態を理解することとなった。

『ひこうき』という馬鹿でかい乗り物にのって空を飛んで行く、というのだ。 空を飛んで!

陸続きでない外国に出かける時は船、という発想しかない 彼にとっては青天の霹靂だった。

とはいえ、この世界が眞魔国とは比較にならないくらい科学も技術も進歩した世界だ ということは一応飲み込めていたので、みっともなく騒いだり怖がったりなんてこと はしなかったけれども。

大勢の人がせわしなく行き交う空港内のロビーでベンチに座り、ヴォルフラムは村田 に言われた注意事項を頭の中で反芻していた。

まず、村田とは基本的には眞魔国語で喋ること。村田以外の人物と口を利くことに なったら、英語で喋ること。その際、勝利が設定した国籍や出身地等のデータを必ず 守ること。そしてなるべく一人では行動しないこと。何かあったらすぐに村田に言うこ と……

「さて、そろそろ搭乗時間かな……フォンビーレフェルト卿」

急に村田が声をかけてきたので、ハッとして相手を見る。

「これ、多分機内に持ち込めると思うから、フライト中に読むといいよ」

村田が差し出したものをパッと見て、ノートかと思ったが、違った。というより、 紙ですらなかった。
ノートくらいの大きさで、薄く、長方形型をしたそれは、 外装にはブルーのプラスチック樹脂を用いた機械だった。もう どんな機械やら装置やらを持ってこられても、ヴォルフラムはいちいち驚いたりしない。

「これは記憶型液晶搭載のノート型端末、『タンジェント』君でーす」

村田は通販番組の司会者宜しく、ヴォルフラムに向かって『タンジェント』を 本当にノートのように開いて見せた。中は両面とも液晶画面になって おり、右側の下にはいくつかボタンがついていた。二つに折る部分には細いペンタブ が一本差し込まれている。

「フォンビーレフェルト卿、この『タンジェント』にはね、渋谷が眞魔国で在位中に 書き溜めた日記とかメモ書きとかが、ぎっしり詰まってるんだよ」

「えっ……?!」

ヴォルフラムは眼を丸くする。 この薄い機械の何処に書き溜めた日記が入っているのか、どうやって読めばいいのか、 いやそれ以前に、何故ユーリの日記が入っているものを村田が所持しているのか。 そういった様々な思いが一気に沸いたのか、あっという間に怪訝な顔になる。

それを読み取ったか、村田は苦笑いした。

「いや別に、僕には友達の日記を収集する趣味なんてありませんよ」

村田はまだ何も表示されていない『タンジェント』の液晶画面を、指で突付きながら 説明しだした。

「かなり前にね、渋谷が自分から言い出したの。眞魔国で書き溜めたことをこっち の世界でも保存しておきたい、って。地球じゃ、自分が眞魔国で魔王として過ごした 事実が何一つ証明出来ない、自分の記憶でしかない。だから、ちゃんとした記録にし ておきたい、って言ってね。
まあ向こうで過ごしてる年数を考えると凄い量になっちゃうから、アナクロな保存じゃ なくて、こうしてデータ化したんだけど。いやーでも結構面倒な作業でしたよー 定期的に向こうから持ってきた冊子を全ページスキャンして、年度ごとに分けて保存 しなきゃならなかったんだからさー。で、それを今回はその一部を、この『タンジェント』に入れて きたんだけどね」

意味の分からない言葉が多々あったが、気になる部分もあり、ヴォルフラムは眉間の 皺を深くした。

『地球では自分が眞魔国で魔王として過ごした事実が、何一つ証明出来ない。自分の 記憶でしかない』

ユーリは在位中、ずっとそう思いながら二つの世界を行き来してきたのだろうか。
今回の突然の退位と失踪も、その考えが根底にあってこその行動だった のではなかろうか。

奇妙な感覚がじわりとヴォルフラムを襲う。

「これの使い方、教えるよ。フライト中に目が疲れない程度に読んでるといいよ。 そうすれば分かるから。渋谷が……これまで何を思って眞魔国を治めてきたのか。 どうしてこんなに早く王位を辞したのか。何をしに旅立ったのか」

村田の言葉にハッと虚を衝かれたような気になる。そうだ。僕はまだそれをちゃんと 知らないのだ。

村田が『タンジェント』の電源を入れ、ペンタブを抜いて操作し始めた。それを横から ヴォルフラムは覗き込む。

そして突如、左側の液晶画面に映し出された眞魔国語 の文字。

ユーリの字だ。走り書きに近い乱れた筆跡。



魔族、人間、異世界、そして地球。 俺の中で止まることなく、流動し続ける 四つの要素



「これが始まりだよ」

村田がそう呟いた。何の始まりなのか、ヴォルフラム は訊かなかった。









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