4つの流動的要素   −あおい眼をした人形は−







9.





ヴォルフラムが前菜のようなものを口に入れようとした時、後ろの方からこんな声が聞こえてきた。

「いらないの?食べたくないの?そんなら残しなさい。その代わり後で お腹すいても知らないからねっ」

うんざりしたような女性の声だった。

後ろを振り返ってみてもよく見えないが、どうやら母親と小さい子どもの二人連れ のようだ。おおかた、機内食をちゃんと食べようとしない子どもに、母親が 業を煮やしたのだろう。

ヴォルフラムは自分の食事に戻りながら、ふとあることを 思い出す。



かなり前だが、ユーリは眞魔国に「食育」という言葉を持ち込んだ。

「食の教育」という意味で「食育」。
食事の席での作法や手順のことを指しているであれば、別に目新しいことではないの だが(特に貴族階級にとっては)、これは食というものに対する心構えから健康の確保 まで、広い範囲の意識を高めるということを指しているのだという。

これは、庶民層よりもむしろ貴族階級にかなりの影響を与えた。

庶民層に比べれば遥かに贅沢な食事が許されているというのに、食べたくなければ 食べなくて良い、という勝手もまかり通る貴族の食生活に、ユーリは前々から 眉をひそめていたのだ。

自分の娘に対しても例外ではなかった。

グレタは特別好き嫌いの激しい子供というわけではなかったが、食事の際、自分の嫌いな食材が 混じった料理を見ると、もう手をつけなかった。初めからそこにないかのように、その皿 だけ無視し通すのだ。

見かねたユーリが注意しても、こればかりはなかなか 治らなかった。
たいがい、グレタは大好きなユーリの口から直接言われたことは二つ返事で きくのに、嫌いな食べ物に関しては譲歩するのが難しいようだった。

そういう時、ヴォルフラムはたいていグレタの味方をした。
嫌いなものを無理に食べさせる ことはないじゃないかと思っていたし、自分自身、食わず嫌いもかなりあったけれど ちゃんと成長出来た。何故ユーリが食事一つにこうも煩いのか分からなかった。

が、ある時ユーリがこう言ったのだ。

「グレタ、この一皿がグレタの前にくるまで、何人の人が働いたか考えてごらん」

この言葉に、いつ助け舟を出そうか考えていたコンラートも、傍観を決め込んでいた グウェンダルも、ユーリの父親っぷりをうっとり観察していたギュンターも、 どうしても食べたくない一皿を前に俯いていたグレタも、そんなグレタの肩を持っていた ヴォルフラムも、一斉に注意を惹かれた。

ユーリは続けた。

「まず、その野菜を汗水垂らして育てて、収穫してくれた 農家の人がいるよな?で、それを血盟城まで届けてくれた運搬業の人もいるよね?で、 その野菜を、今度は厨房の料理人の人たちが一生懸命グレタのために料理してくれた。 更に、それを厨房からこの部屋まで運んで、並べてくれた召使の子までいるんだよ?」

責め立てるでもなく、嫌味を込めているわけでもなく、ただ諭すように ユーリは語りかけた。

「そう思うと、どう?あーちょっと苦手でも、食べなきゃいけないなーって気に ならない?」

そこまで言うと、ユーリはグレタから視線を外し、黙って自分の 食事を再開した。

それから程なくして、グレタは意を決したように先割れスプーン を掴み直し、恐る恐るではあるが、冷めかけたその料理を食べ始めたのである。

その場にいた誰もが呆気に取られていた。皆、こういうしつけの仕方を聞いたことがなかったので ある。ユーリよりも遥かに長く生きているのに、だ。

その日、グレタはかなりゆっくりとではあったが、半分近くまで食べ進めた。
しかしそれ以上は頑張れなくなってしまったのか、ついに手を止めて涙ぐみ始めてしま ったので、残りはユーリが片付けることとなった。

「うん、今日はここまで食べられたんだから、立派だよ」

と晴れやかな表情で 娘を褒めながら。

後でヴォルフラムが聞いたところによると、

「ああ、俺は自分の親に、飯残すたんびにああ言われてきたから」

ということらしかった。

そしてこの話は、たちまち城中の知るところとなる。 そこからユーリが、いい機会だからと「食育」という言葉を広め始めたのだ。



そんな出来事を思い出しながら、ヴォルフラムは前菜、魚のフライ、その付け 合せのポテト、コーンスープなど、黙々と食べ続けた。

とりあえず、残さないようにしようと決めた。






*    *    *







「中途半端なんだよな、俺」

紅茶を一口飲んで、ユーリはそう呟いた。

ヴォルフラムは怪訝な顔で相手に視線を送る。ユーリが何を言いたいのか、 分かりかねた。

午後のお茶の時間。執務からいったん解放されたユーリを、この日当たりのいいテラス に誘ったのはヴォルフラムだ。休憩時間くらいは外の風に当ててやりたいと思ったのだ。

ユーリはカップをソーサーに置き、独り言のように話す。

「純潔魔族ってわけじゃない。じゃあ人間かっていったら、そうでもない。こっちの 世界の出身ってわけでもなくて、いまだに生まれ育った日本と眞魔国を行ったり来たり してる…………この国に腰を落ち着けることも出来てない」

「それはお前がへなちょこだからだ」

ヴォルフラムはいつものように、高飛車 に笑った。が、返ってきたのはいつもの「へなちょこゆーな」ではなく、隙間風のよう な冷え冷えとした沈黙。

やがて、ユーリがまた口を開く。

「つまり、本質的には俺、何処にも属してないってことになるのかな」

「何を言ってる?」

ヴォルフラムは眉間に皺を寄せた。

「お前は国王だぞ。この国の。だったら属する場所は此処しかないだろうが」

「それは肩書きだろ。職業名が魔王って話で。そうじゃなくて、もっと根本的な…… 俺の存在自体がってことでさ」

「……魂が、ってことか?だったらなおさら眞魔国と繋がりが深いぞ、ユーリ。 お前の魂は元々この世界に属していたもので、それを眞王陛下が、魔王にとお決めに なったのだからな」

「それは知ってる」

あっさりと頷く。そしてまた 紅茶を一口飲んだ

「じゃあその眞王陛下が、即位した後も俺をこっちの世界に縛り付けとかないのは どうして?」

「それは……」

ヴォルフラムは口篭った。眞王の御意向 なんて、推測するにはあまりにも恐れ多いように思えたし、また、普段とはいささか 勝手の違うユーリの様子に、少々怯んだところもあったからだ。

ユーリはあらぬ方向を見詰めながら、また独り言のように呟いた。

「属しているようで、属してない。地位が固まってるように見えて、意外と中途半端。 自由なように見えて………きつく縛られてる」

「……ユーリ」

「……この矛盾を一気に解決出来る方法、ないでもないんだよね」

ヴォルフラムの背筋に、冷たいものが走った。






*    *    *







「フォンビーレフェルト卿、起きて。もう着くよ。ベルト締めて」

村田に肩を揺すられ、ハッと目を覚ました。一瞬、今自分が何処にいるのか分からず、 混乱する。が、周りの乗客たちを見て、すぐに思い出した。

アトランタに向 かっていたのだった。

ベルトを締める指示のランプが点いているのが目に入った。ヴォルフラムは離陸の時 と同様にベルトを締め、着陸態勢に入って徐々に揺れが強くなってくる飛行機の振動 に身を委ねた。

(……夢だったのか)

随分と懐かしい夢だった。確か に、自分とユーリはあんな会話を交わしたことがあるが、すっかり忘却の彼方だった。

あの時は、何故ユーリがあんなことを言い出したのか分からなかった。
けれど、多分彼はちょっと精神的に落ち込んでいただけで、一時的な愚痴のようなものだった んだろうと思っていた。思おうとした。

あの時は。



この矛盾を一気に解決出来る方法、ないでもないんだよね―――



(ずっと悩んでいたのか、お前は)

飛行機の高度がみるみる下がっていく。窓 の外の景色を見ながら、ヴォルフラムは胸の内でユーリにそう語りかけた。

あの後、ユーリは何と言ったのだろうか。彼の口から直接聞いたのだろうか、自分は。 でも、何故か……

一瞬、突き上げるような衝撃が伝わる。機体が地面と接触したのが分かった。



この矛盾を一気に解決出来る方法、それは、
27代魔王にと定められたこの魂を、黙って眞王陛下にお返しすることだ―――



周りの乗客たちがそわそわし始める。隣の村田も大きく伸びをし、首を2,3回 回した。

やがて、機内アナウンスが始まる。

『皆様、只今ハーツフィールド・ジャクソン・アトランタ国際空港空港に着陸致しました。 皆様の安全のため、シートベルト着用サインが消えるまで、座席にお座りのままでお待 ち下さい。お降りの際は、お忘れ物をなさいませんよう、ごゆっくりお支度下さい―――』











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