4つの流動的要素   −あおい眼をした人形は−







4.





『スタツア』。

ユーリは、水場を介して二つの世界を行き来する事をそう呼んで いた。

「そろそろ来るな、っていうの、なんか最近分かるようになっちゃってさ。呼ばれる 時も戻される時も」

30年くらい前から、ユーリはそう言っていた。スタツアの予感のようなものが 働くようになったのだと。

しかし、水場に引っ張り込まれ流される、という少々野蛮な方法は、この50年間、 全く進化も改善もされなかったという。

はじめの方こそ、出来れば濡れずに来れないものか、もう少しおとなしく移動させてもらえないものか、 せめて着地地点だけでも、安全で血盟城に近い場所に固定出来ないものか、とユーリ はいつも頭を悩ませ、周りに苦情も言っていたが、ついに諦めてしまったらしく、 近年は何も言わなくなっていた。



・・・でも確かにこれじゃあ、苦情のひとつやふたつ言いたくもなるよな――――。








「ぶはっ!」

ヴォルフラムは勢い良く水面から顔を突き出した。反射的に大きく息継ぎをし、更に ゲホエホエホエホ、と激しく咳き込んだ。涙が出てくる。鼻に水が入ってしまったせい だ。

「……あぁ…………」

本気で死ぬかと思った。

呼吸を整えながら、唸るような低い溜息をつく。そしてその溜息が、やたらこの空間に 響くのに気付いた。何処なのだろう、此処は。

顔にまとわりつく髪の毛を指でかきわけて視界を確保し、ヴォルフラムは周りを見回そうとした。
が、その矢先、突如足元から、ごぼっと何か大きなものがせり上がってくる感触が あった。

「わっ…」

それは自分の隣にざばっと姿を現す。

「ふーう、無事到着ー」

水面から上半身を覗かせた村田は、眼鏡を外し、空い ている方の手で濡れた顔を無造作に拭った。
そしてすぐに、たっぷり水気を含んだ黒い服を 引きずるように水からあがる。いや、正確には水ではなくてお湯なのだが。

村田は、水滴がついたままの眼鏡をかけながら、まだ体半分湯に浸かったままのヴォル フラムを、今にも吹き出しそうな表情で見下ろした。

「・・・大丈夫?何か放心してるっぽいけど」

そう言いながら、白いタイルの上で濡れた服を絞る。

髪や顔から雫を滴らせながら呆然と村田を見上げていたヴォルフラムは、やっと首 だけ回して自分の周囲を見回した。

白くて狭い空間だ。高い位置に小さい窓が一つだけあり、天井には柔らかい色合い の電灯が灯っている。

「此処は・・・」

「お風呂だよ。僕んちのね」

「風呂?僕んち?」

ヴォルフラムは目を 見開いた。魔王専用の湯殿を見慣れている彼には、この風呂は余りにも狭すぎるよう に思えた。では、自分が今浸かっているこの箱のようなものが湯船なのか。これもまた かなり窮屈だ。足が伸ばせやしない。

「猊下のお住まいにもかかわらず、こんな・・・」

思わずそう呟いたところで、村田が 笑った。

「いやいや、都心の1Kマンションのお風呂なんてこんなもん だよ?僕、こっちじゃそんな高級邸宅に住めるような、大層な身分じゃないからね」

「・・・・?」

まだ良く分かっていないヴォルフラムに、村田は笑いをおさめずに言った。

「フォンビーレフェルト卿、此処は地球だよ。そして僕と渋谷の国籍がある国、 日本国」

「えっ・・・?!」

「御所望の通り、連れて来てあげたよ。 ようこそ日本へ、フォンビーレフェルト卿」

村田の笑いを含んだ声が、浴室によく響いた。








ひとまず、服を絞りながら浴室から出る。この身なりを何とかしなければ、というこ とで、ヴォルフラムは濡れ髪や顔をあらかたタオルで拭った後、村田から服を一式 借りて、着替えることになった。

「人が泊まりに来た時のためにね、下着も百均のやつ、いくつかストックして あるんだ。だから返さなくていいからね」

「はあ」

ひゃっきんって何だ、と思いながらも、とりあえず渡されたものを一通り身に付ける。 濡れた軍服は村田によって洗濯機に放り込まれた。

幸い、服のサイズは調度良かった。ジーパンにVネックの茶色いカットソー、その上 に生成り色のシャツを羽織り、身なりが整ったところで、ようやく、村田が『僕んち』と 言ったこの部屋の中をじっくり観察する余裕が出来た。

狭いな、というのがヴォルフラムの第一印象である。
独身者の一人住まいには手頃な1Kのマンション なのだが、ヴォルフラムの感覚だと、これくらいの間取りは納戸か使用人の詰め所 か何かにしか思えない。しかもモノが多い。決して散らかりまくっているわけでは なく、雑然としてはいるもののそれなりの秩序の下で積み上げられている、という印 象を受けるのだが、机周りやベッド脇などにも、やたら文献や書類、PC機材や周辺 装置が溢れかえっている。
無論、ヴォルフラムにそれらが何かは分からないが。

どうも冷たい、無機質な印象を受ける部屋だと思ったら、すぐその理由が分かった。 木で出来た家具調度が殆ど見当たらないせいだ。

ベッドはパイプだし、机も、壁に張り付くように並んだ本棚も、天板以外はスチール製 だ。床はフローリングだが、くすんだ色のラグが敷いてあるためか、木の温もり感が 伝わってこない。

だが、この冷たい印象は、何もこの部屋に限った事ではないらしいと、ヴォルフラム はすぐに気付いた。

カーテンを引き、窓の外を眺めてみると、眼前に広がる風景は全体的に灰色っぽかった。
その中に点々と、毒々しい色合いの看板やら何やらがミスマッチな色彩を醸し出 しており、そのさまは、何だかヴォルフラムの眼には奇妙に写った。
天気は悪くないのに、抜けるような明るさが感じられないのだ。

こういう風景は、現代日本人には別に異様に思えたりはしないのだろうが、前時代的な 異世界出身の
ヴォルフラムにとっては一種のカルチャーショックであった。

此処がユーリの育った国なのか?戦争も内戦もなく、種族間の差別もない、 人類平等の名の下に生きられる世界なのか?

この灰色の街が?








「えぇですからね、2時間でいいんですよ友達のお兄さん。ちょっと彼に会って、 例のNASAブランド機器にかけてやって、パスポートとアメックスと少しの現金を 渡してくれれば、それでいいんですよ。2時間で済むでしょ?え?だーかーらぁ、 弟さんに引き合わせてやるためなんですってば友達のお兄さん!」

さっきから、奇天烈な恰好の機械に向かって(アニシナの発明品にありそうだ)、 村田はひとりで喋りまくっている。

ボタンのようなものをピ、ピ、ピと押し、本体とコイル状の紐のようなもので繋がった長細い 形状のものを耳に当てて喋り出し、それが途切れたと思うとまた ピ、ピ、ピとやっては喋り出す、というのを何度も繰り返していた。

最初は何ごとかと思ったが、多分あれは通信機器か何かなのだろう。

何を言っているのかは全く分からない。こちらの世界の言語なのだろうな、と思いな がら、ヴォルフラムは小さめのソファに腰掛けたまま、おとなしくしていた。

さっき、村田に言われたことを頭の中で反芻する。

―――此処は日本国の首都で、東京っていう街だよ。眞魔国でいう王都に相当する 場所だね。

ではユーリはこの東京にいるのか、と訊ねたら、

―――いや、渋谷はいま此処にはいないと思う。とにかく、これからその辺確認とって みるから。
君の今後についても、ちょっとばかり援助が必要だしね。

そう言ってからこっち、村田はあの奇天烈な機械に噛り付いたままなのである。

まだユーリに会えるのは先になりそうなのだろうか。

「あぁはい、はい、分かりました、ええどうも、有難う御座います友達のお兄さん。 はい、失礼しまーす」

がちゃ、という音に我に返る。村田が、例の機械の 前で、ふーっと溜息をつき、眼鏡を押し上げた。
そして速やかに言葉を眞魔国語に 切り替えて、ヴォルフラムに向かって言う。

「フォンビーレフェルト卿、明日の午後、会って貰わないといけない人がいるから、 ちょっと出かけるよ」

「会って貰わないといけない人?」

村田は頷いた。

「そう、こっちの魔王陛下」

それを聞いて、ヴォルフラムは目を見開いた。

「……ユーリの兄上にか?」






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